善應院では、年間を通して様々な行事があります。
皆様のみじかな存在でありたいと考えています。
一般の方もご参加いただける行事もございます、親しみがあり、心安まる善應院にぜひお越しください。
1月 新年勤行会 新春初参り
2月 節分会
3月 春季彼岸会
4月 花祭り
5月 水子観音供養会
6月 鬼子母神供養会
7月 盂蘭盆会施餓鬼供養
新盆供養会 お棚経
9月 秋季彼岸会
10月 日蓮大聖人報恩御会式
11月 追善供養会
12月 納めの報恩祈祷回向
12月 日蓮宗大荒行堂参拝
< お寺の年中行事 >
当山では年中行事の初めとして正月の三ヶ日間、早朝「新年」にて法華経を讀誦し、本年の檀信徒の皆様方の
家内安全・身体健全をご祈念致しております。
さて、お正月は氏神様や鎮守様にお参りすると共にご自分のご先祖様(歳神様)にもお詣りするのが本来の日本の伝統です。
「一年間無事に過ごす事ができ、新年を迎えることができました。」という感謝の気持ちでお墓参りすることをお奨め致します。
毎年1月に、深川寺院が合同で初参りをしています。大本山中山荒行堂、法華経寺、柴又帝釈天題経寺を参拝し、一年の安泰と隆昌を祈念するお参りです。善應院前から大型バスにてご案内いたします。
おいしい昼食も付いて、11,000円(平成27年)で参加できます。
特に法華経寺には、荒行堂にて寒壱百日のご修行をされている修行僧の方々が大勢いらっしゃいます。そのお上人達のご祈願を頂戴し、荒行の功徳をわけていただくことができますありがたいお参りです。
厄年に当たっている方は、厄払いにもなります。
身体の具合が思うように良くならない方、祈願したいことがある方は是非ご参加下さい。
お寺の檀家でなくても、一般のバスツアーのように気軽に参加できます。
12月下旬にお電話やメールにてお問い合わせください。
2月の行事といえば「節分」です。節分と言うとすぐ「鬼は外、福は内」の豆まきを連想しますが、本来、節分と豆まきは別の行事でした。
節分は、陰暦で立春の前日、大寒の末日のことです。陰暦の暦法ではこの春夏秋冬をさらに六つの節気(せっき)に分けて一年に二十四の節気をたてます。これを二十四節気と呼びます。たとえば、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至・大寒などがよく耳にする二十四節気のうちの一つです。立春からはじまる一年二十四節気の最後の日で、翌日の立春からまた新しい節気がはじまるという節気の切り替わりの日なので「節分」というのです。
この節分にお寺や神社で「追儺(ついな)」や「鬼遣(おにやらい)」といって豆まきをするのですが、「追儺」の「儺」の字は「難」と同じ意味を持つ字で、難を追い払うという意味を表すようになりました。
この時節の変わり目の厄除けの行事が古く日本にも伝えられ、7世紀頃の宮中では大晦日の夜、年越しの行事として「追儺」が行われていました。
豆まきについては、「豆打ち」といって宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が都に降りて来たので、三石三斗の豆を投げつけてこれを追い払ったという言い伝えから始まったと言われています。
年越しの厄除けの行事である追儺と、豆で鬼を払って疫や災いを除く豆打ちの行事が重なり合って、現在のような節分の豆まきと言われています。
一般に豆まきは、炒った大豆を升に入れ、「鬼は外 福は内」と唱えながら撒きますが、当山では鬼子母神様をお祀りしている為、古来より「鬼は外」は言わず、「福は内」だけを唱え、その後にお題目「南無妙法蓮華経」を唱えています。
日本の仏教行事の代表的なものとして、「お盆」とならんであげられるのが、春と秋の「彼岸会」です。春彼岸会は春分の日を「中日」とし、その前後三日間の都合一週間を春彼岸として、法要を行っています。
彼岸は、古代インドのサンスクリット語「パーラミター[波羅蜜多]」の訳語「到彼岸(とうひがん)」を略した言葉です。
到彼岸とは、「此岸」すなわち、人間の苦しみ、恨み、悲しみ、喜びなどが混在している迷いの多いこの世界から、「彼岸」すなわち、仏様の世界、迷いのない理想的な世界へと自分を高めて、永遠の「安らぎ」の世界へ到達しようと努力することを意味します。
彼岸会の「中日」である春分・秋分の日は、昼と夜の長さが同じで太陽は真東から昇り真西に沈んでいきます。
この昼と夜が同じでどちらにも偏らないということを、仏教の基本理念である「中道(ちゅうどう)」にあてはめます。「中道」とは足して二で割るような安易なことではありません。とらわれを離れた不偏中正(ふへんちゅうせい)の正しい決断、行動をなすことで、仏様の悟りの内容を実践することです。
大乗仏教ではこの仏様の世界へ至る実践徳目として、六つの実行を説いています。これを「六波羅蜜(ろくはらみつ)と言います。
布施波羅蜜(ふせはらみつ) :
他のために励むこと。
持戒波羅蜜(じかいはらみつ) :
決まりを守り、それを持つこと
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ) :
我慢強く耐え忍ぶこと
精進波羅蜜(しょうじんはらみつ) :
常に努力すること
禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ) :
常に心を落ち着かせること
智慧波羅蜜(ちえはらみつ) :
ものごとを正しく判断すること。
これら六波羅蜜を中日の前後三日間に配して、到彼岸会としているのです。
したがって、お彼岸の一週間はお墓参りや先祖供養をするだけの行事ではなく、本来であれば日々を心して過ごさなければならないのですが、ともすると怠惰に流れがちな私達の心をひきしめ、自覚と反省を促すために設けられた、私達自身の修養のための行事なのです。
尚、このお彼岸の行事はインドや中国にはなく、日本特有の仏教行事であることから日本人の仏教観を最もよく表した行事であると言えましょう。
花まつりとは、毎年4月8日にお釈迦様の御誕生をお祝いする行事で、正式には『釈尊降誕会(しゃくそんこうたんえ)』・『灌仏会(かんぶつえ)』などと言います。
お釈迦様が、ルンビニーという花園でお生まれになったとき、七歩あるいて、右手で天を左手で地を指さし、「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊(ゆいがどくそん)」(すべての世界において、私ただ一人が尊い)と叫ばれました。これは、人間は生まれや育った環境によって差別されるものではなく、みな平等に尊い存在であるということを意味です。そしてその時、天から龍がおりてきてお釈迦様に甘露(甘い味のする雨)の産湯をそそいだという伝説から、美しい花で飾った花御堂(はなみどう)を作り、御誕生の姿を型どった誕生仏(たんじょうぶつ)を安置して、甘茶をかける風習が生まれました。
この甘茶は、漢方薬の一種の甘草の根を煎じたもので、これを飲むと健康になるというので、昔は参詣のおり甘茶を持って帰り、一家の無病息災を祈って家族みんなで飲んだものでした。
仏教では「四有(しう)」と言う考え方があり、死の瞬間を死有(しう)、初七日から七七日忌までの49日間を中有(ちゅうう)、受胎した瞬間を生有(しょうう)、生きている間を本有(ほんぬ)と言います。生命の誕生は受胎の瞬間にあると捉えます。ですから水子であっても母胎から生まれてこなかっただけで、この世に生を受けた一人の人間ですので、その供養と成仏を願うことは当然のことでもあります。また、仏教で数え年を使用するのも上記の理由からです。
さて、我々日蓮宗の教えに「水子供養」のための特別な方法はありませんが、命の尊厳性を説く法華経の教えに基づき、久遠本仏のお釈迦様や日蓮大聖人の大慈大悲(だいじだいひ)の救済力によって水子の霊の成仏を祈るのであります。
やむを得ない事情で妊娠中絶を選択した方は、特に懺悔(さんげ)滅罪(めつざい)[自ら犯した過失を仏様の前に告白し、忍んで許しを乞い、罪を消滅させる行法]の念をもってお題目(南無妙法蓮華経)を唱え、手篤く追善供養を営むことが大切です。
この仏縁を大切にしていただき、ご両親の罪障消滅とすべての水子の霊の供養を兼ねて、毎年5月に「水子観音精霊会」を行っています。
鬼子母神は、古代インドの神話に出てくる夜叉(鬼女)で、その名を「ハーリティ」といい、訶利帝母(かりていも)などとよばれます。
ハーリティは自分の子供だけを溺愛し、他人の子はさらっていって殺していましたが、お釈迦様の教えを受け、自らの過ちに気づきその罪を償う意味で、「永遠に子供を護ります」とお釈迦様に約束しました。この誓いになぞられ、子供を抱き天女の形をした鬼子母神は、安産・子育ての神様として信仰されるようになりました。
また鬼子母神は、十人の羅刹女と共に法華経の行者や信者を守護するという誓いが、法華経の中に説かれていることから、日蓮宗では他と異なり鬼形の鬼子母神をお祀りし、日蓮宗の祈祷本尊(鬼形鬼子母大善神)として、広く信仰されています。
施餓鬼(せがき)とは、餓鬼に色々な飲食物を施すことをいいます。与えられ命を尊び、生かしていただいていることに感謝します。この施餓鬼の由来については、「救抜焔口陀羅尼経(くばつえんくだらにきょう)」というお経に次のように説かれています。
お釈迦様の十大弟子の一人に、説法を一番よく聞いた、阿難尊者(あなんそんしゃ)という方がおりました。ある時、阿難尊者が一人で静かに坐禅をしてい ますと、突然目の前に痩せ衰え手足が針金のように細く、髪は逆立ち口からは焔(ほのお)をだした、焔口(えんく)という餓鬼があらわれて、「三日のうちにお前は死ぬ。そして、私のような醜い餓鬼に生まれ変わるだろう。そうなりたくなければ、餓鬼たちにたくさんの飲食物を施し、三宝(仏・法・僧)に供養すれば、その功徳によってお前も救われるであろうと告げたのです。
阿難尊者は驚き、すぐお釈迦様のもとへ行き、どうしたらよいでしょうかと尋ねますと、「施餓鬼棚に新鮮な山海の食物をお供えし、修行僧に施餓鬼会の法要を営んでもらいなさい。修行僧のお経の力によって少量のお供物は無量のお供物となり、すべての餓鬼に施される。そして多くの餓鬼は救われ、お前も長寿を得られ、さらに尊いお経の功徳によって悟りを開くことができるであろう。」とお答えしました。
さっそく阿難尊者が、お釈迦様のいわれた通りにすると、命は助かり、さらにお釈迦様の弟子のなかでも、一番長生きされたそうです。
なお、この施餓鬼会はお盆に行われることから、とかく両者が混同されがちですが、本来は特定の日を決めずに営まれる行事です。しかし、阿難尊者の物語 と、目連尊者(もくれんそんじゃ)の母にちなんだお盆の物語が似ていることから、一般にはお盆の行事として考えられるようになりました。
当山では、毎年7月海の日に「盂蘭盆施餓鬼会」を営み、併せて新盆にあたる霊位の供養を行っています。また、法話によってお釈迦様や日蓮大聖人の教えをわかりやすくお伝えしています。
彼岸会は秋分の日を「中日」とし、その前後三日間の都合一週間を秋彼岸として、法要を行っています。
「お会式」とは、日蓮聖人の亡くなられた日に営まれる法要の事です。全国の日蓮宗寺院で行われる日蓮宗最大の行事です。
日蓮聖人は、弘安五年(1283)十月十三日の午前八時、東京池上の地で六十一歳のご生涯を終えられました。弘安五年の秋、九月八日、大聖人は住みなれた身延のご草庵をあとに、常陸の湯に入らんため身を馬上に托されました。
武州池上宗仲の館(今日の大本山池上本門寺)に着かれた後、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六人を本弟子と定め、後の事を、十月十三日辰の刻、安祥として涅槃に入られました。お会式は古くは御影講、御命講などとも呼ばれ、江戸時代から盛んになりました。
入滅の地、池上の本門寺では万灯がともされ、檀信徒がたたく団扇太鼓がなりひびき、参拝の信者で終日にぎわいます。善應院では10月の第一日曜日にお会式を営みます。